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  • 2016.02.13 Saturday
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今までありがとうございました。

引越します。
これからはTumblrでブログを書きます。
10年間ありがとうございました。

http://shigekazutakanashi.tumblr.com/
 

別にラーメンでなくてもよかった





































でも、
僕にはラーメンしかない。

泣きたい人へ



十年ぶりぐらいにこの動画を観たけど、また泣いてしまった。
泣きたい方はどうぞ。

おどらされるよりおどらしたいのか


静浦小中一貫学校にラーメン教室に行ってきた。
すげー楽しいって感じではなかったけど、終始、いい気分だった。

子供たちの反応をみて、
こんな自分だけど、誰かを喜ばせたり、誰かを熱中させたり、誰かに感動を与えられる。
という事実を知れたことが、なんだかよかったし、自分を認めてやる感覚をちょっと手に入れて、帰り道、昨日より世界が軽くなった感じがした。

依頼してくださったM先生にはマジ感謝だ。
貴重過ぎる体験をした。
またやりたい。

人の喜びが自分の喜び。
なんて感覚。今まで1ミリもわかんなかったんだけど、ちょっとおいおいこれなのか!って感じである。
これはちょっとクセになっちゃうのかもしれない。

生きる理由がひとつふえた。


 

楽屋にあいさつする


一眼レフカメラを買った。
撮りたい写真があるから。
NikonのD5300というやつにした。

住宅エコポイントというやつで、アマゾンポイントを12万円分もらえたので、
夫婦で6万ずつ使えることになった。
ので、単焦点レンズとブルーレイプレイヤーを注文した。
あと3万ぐらい何に使おう。

知り合いが描いた絵を見ていいなと思った。
買って部屋に飾りたい。
自分にないものだから惹かれるのかもしれない。

先日、先輩に叱られた。
昔、大将に叱られた時と同じ失敗をしてしまった。
困っているときには助けてくれて、自分が間違った道にそれた時は叱ってくれる先輩がいる。
それは本当に有難いことだと思う。

礼儀という言葉を辞書で調べてみた。
人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。
と書いてあった。

自分なりに考えた。
自分にとって礼儀とは、「これぐらいでいいや」というのをやめること。
相手への思いやり、感謝を伝えること。
みんながいるから、自分がいるということ。

僕は余裕ができちゃうと調子に乗ってしまう。
これからもたくさん失敗する。
でも、知らないことを知れることは、嬉しいことでもある。
その都度、素直な気持ちで受け止める自分であれたらいい。

 

スタッフ募集


普通に異常なWorldで異常に普通なLife

アナログフィッシュというバンドが大好きだ。
たまにたまらない気持ちになる。

「ある子供」という映画を観た。
主人公を見て、自分は「まともだな」と思ってしまった。
でも、そういうのあまり好きではない。

普通にしてたら、たぶん人間はだれでも
「自分が正しい」とか「自分はちゃんとしている」とか「自分は他とは違う」とか「自分は特別でありたい」とか思っちゃってると思う。

そういうの好きじゃない。

「自分はたいしたもんじゃない」
っていうその感覚が好きだ。

高速道路を走ってる時に
ふと「幸せ」みたいなものを感じた。
たぶんきっとそうだと思う。
別に何をしてる訳でもなく、たまにそういう時が、年に数回ある。
あれはなんだろう。
凄くおだやかで柔らかくてふわ〜ってしている数分間。

でも、ちょっとだけ、こわくなって、
「幸せになってもいいのだよ」と自分に言い聞かせてみたりもする。

うんうん、あの感じ。

成人の日に 谷川俊太郎

人間とは常に 人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々 成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

谷川俊太郎詩集「魂のいちばんおいしいところ」より引用

貯金のように信頼を貯めるですか

平熱の中でベストをつくす。
調子がいい時にテンションを上げない。
上がったものは必ず下がる。
必ず終わりが来ると思うとがんばれる。
人生は長期戦。
がんばりすぎない程度にがんばる。
厨房は戦場。だと思うと逆に楽になる感じ。
戦場だけど、心は平熱。

今のろたすは穏やかだ。
穏やかなうちに勉強をする。
また必ず来る過去にクリアできなかった課題にそなえて。

昔の会社の上司に食事を誘われて行ってきた。
教育について、話した。
4時間あっと言う間だった。

「サイドウェイ」という映画を観た。
退屈な映画だった。
翌日、起きたら元気になっていた。

僕は退屈な映画が好きだ。

スタッフさんがいるから、僕の生活がある。
だから、やっぱり僕はみんなの役に立ちたいと思っている。
それがぜんぜんできてないぜベイベ。

今年はたくさん映画を観るぞ。
今日は「ある子供」を借りてきた。
昔、弟がたぶん観てたやつ。

これからも経るね〜

新しい社名の候補を思いついた。
「ORDINARY」か「NEW ORDINARY」のどちらか。

松浦弥太郎さんのいつだかの言葉に感銘を受けて、
平凡に暮らすことが僕の人生のテーマになった。

これは兄弟で共有していることでもある。

平凡とは、何もないってこと。
それは、それだけバランスがとれているということ。
そして、平凡を保つための努力が必要だ。
今日も何もなかったなぁというしあわせを感じられたらいい。

僕は大きな喜びもなければ、大きな悲しみもない。
僕はそんな感じない人間だ。
感じすぎる時代は24,5歳の時に終わった。

昔の自分はもう忘れてしまった。
けど、ちょっと思い出してみた。

経て経て、1周して、今の自分がある。

もう忘れてしまったけど、24,5歳まで生きることが常に辛かった。
その分、何かが「ある」ことの幸せを感じていた。
大きな喜びを感じられる人間だった。
大きな苦しみの分だけ、大きな喜びを感じていた。
人生というのは本当にプラマイゼロなのかもしれない。

今は、というかもう10年ぐらいは、基本、楽にいきている。
この前、弟と話すまでは、そういう自分に後ろめたさというかすっきりしない感じがあったのだけど、
そういう自分を「許す」という新たな気づきを頂いた。

その考えにちょっと足を踏み入れたというか、まだすぐにでも戻りそうとういう感じではあるけど。

そんな自分を完全に許すことができたら、きっと「ない」ことの幸せを感じられるはずだ。
でも、ちょっと分かりかけている感じもある。

ストレスもそれが当たり前になりすぎて、自分でも気づかなくなってることがまだあるかもしれないと思った。

ちょっと変わったことで、夫婦の在り方なんかもちょっと変わってきた。
ただ一緒に暮らしているだけで、尊いことだ。と感じられるようになってきた。

また弟と話したいな。
月一のミーティングが楽しみだ。

僕は平凡を愛している。
だから、オーディナリー。
どうかな。

ちなみに大きな喜びって何だろうと思い出してみた。
高校生の時、初めて付き合った子と初デートで三島のジョイランドに映画を見に行った。
大場駅から、ジョイランドまで二人で歩いて行った。
手を繋いで行った。
あの時の喜びを思い出した。
ちなみに大場駅から、ジョイランドまで、僕はずっと勃起していた。
それも思い出した。

そんな「ある」幸せは今は感じられない。
でも、今はひとつランクが上の(ほんとは上とかないけど)何も「ない」幸せを感じられるはずだ。

経たからね。
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